Team CRC Japan2018レポート(25)




AOC最終日に現地入りし、メカニックを努めたヤッキーさんより今月のチームレポートが届きました


皆さんこんにちは、Team CRC Japan チーム監督?のヤッキーです

今回は10/12~14日に谷田部アリーナさんで開催されたAsian Onroad Championships(AOC)2018 Round5にメカニックとして参戦しましたので、その参戦レポートをお届けします。

それでは、レポートに移ります。

AOCは金曜から日曜の3日間開催でしたが、私は休みが取れず最終日の日曜日のみの参加でした、この日のスケジュールは予選1回(予選6ラウンド)、Aファイナル2回と3回しか走らないスケジュールです。今回Team CRC Japanからはハヤト一人の参戦でしたので話相手&応援がメインのつもりでした。万が一のことを考え工具とピット用品だけ持ってこちらのラジコン仲間と3人で開門の6時半に間に合うよう2時に出発しました。

早めの朝食を取り6時半に会場へ行くと、すでにオープンしており皆さん朝の練習走行準備に忙しそうでした。既に熱気が伝わってAOCの雰囲気満々でした。

軽くピットウォークしてハヤトのピットに行くと、朝の練習走行準備をしており金、土曜と今一パッとしない走りだったのは事前に知っていたのでハヤトに「何かセット変えた?」と聞いたところ「少し変えました」との返事、あえて何を変えたか聞かず取り敢えずこの目でクルマの動きを見ることにしました

 

【練習走行1回目】

ハヤトが準備したクルマを置き、どんな動きなのかよく観察したところ誰から見ても走ってないと言うか、ここまで走ってないハヤトのクルマを見たのは初めてでした。簡単に説明するとフロントが曲がるぞーーってなってもリヤがまだ曲がりたくないよと!そんな感じで前後のバランスが完全に崩れてました。コーナリングがギクシャクするんで、コントロールも難しくミスもありこの最悪なクルマでよくもまあ、そこそこの順位で留まってたなと、ハヤトに関心しつつこのクルマをどーしてやろうかと必死に考えてました。

走行後ハヤトに「全然走ってないら?話にならんらどーするよ?」と聞いたところ取り敢えず「フロントのリバウンドを少し減らして下さい」と。ここで皆さんお気づきかと思いますが、私は話相手と応援のつもりでしたが「減らして下さい」って俺がやるんだ・・・と(苦)まっ半分覚悟してたので日曜日はハヤトを捨てて帰った(笑)矢野さんメーカーブースを借りてサクサクピット準備をしました

 

【練習走行2回目】

時間があまりなく大きなセット変更は不可能でしたので、まずはフロントリバウンドを0.5mm→0.2mmにしたあとにフロント回りを点検したところ、少しガタがあったのでそれをキッチリ組み直し、キャンバーを計ったところ右1°左2°と大きく違ったのでハヤトに確認するとそのままで大丈夫ですと・・・内心本当に大丈夫か?と思いましたが練習走行なんでまっいいかと。

他はリヤのツイークを1/4回転締め込み、各部のビスの増し締めをやったところ、サーボマウントのポストが全部緩んでました。ハヤトだから仕方ないかと思いながら、このパックでパキーンと走らないと私が来た意味もなくなるし、ハヤトのテンションも上がりません。なので、短い時間でしたがやれるだけの事はやりました。

走行時間がせまり、ハヤトには順番取りで並んでるように言い、フロントのグリップ剤は適当に塗り(反応時間を聞いてなかった)、パキーンと走ってくれることを祈りクルマを置き動きを見てると、全然普通!!とても素直な動きに生まれ変わってました。

大きくセット変更することなく、ここまで変わるとは自分がやったのにびっくりしましたがやはり基本が大事なんだと。ラップも安定してやりやすそうです。走行終了後のハヤトの表情も良く後は最後の予選に向けどーするか話し合い、もう少し戦闘力を上げたいとのことでした。見てて少し曲がってないなと思ってましたから頭の中には構想はありました

 

【予選6ラウンド】

フロントタイヤをプロト→AXX30に変更することに決め左右の曲がりが少し違うと(そりゃあんた、キャンバーが左右で1°も違えば当たり前だわ!)と思いつつ、キャンバーは触りたくないとハヤトからの要望でしたのでツイークを調整しました。

タイヤを変えてどんな動きになるか私的には解からなかったので他はそのままです。いよいよ最終予選のスタートです!この最終ヒートはかなりのレベルなんですが各選手ランタイム(燃費)が厳しいようでフルパワーでは走り切れなく無駄なパワーを抑えて省燃費走行です。ここでクルマが決まってないとタイムも出ませんがハヤトの好みにかなり合ってたようでミスなく淡々と走りこのラウンド2位初50周に入れて現状ではベストでしたし、金曜、土曜の予選と比べると飛躍的に良くなり、ハヤトも満足げでした。結果予選4位となり決勝を迎えることに

 

【決勝Aメインラウンド1】
チームメンバーでもあるAXONの遠藤君から後半のスピードが少し落ちているとの指摘があったので原因はESCの劣化と熱ダレではないかと推測しました。そこで、新しめのESCに交換と共に冷却ファンを付けることにしました。決勝までの時間はたっぷりあるんでメカを全部取りメカレイアウト変更し、モーターも遠藤君に調整してもらいパワーソースは完璧になりました。

クルマは左右違ってたキャンバーをハヤトの意見により左右1.2°に修正しました。あと、もう少し戦闘力を上げるために、予選の動きを見た感じだともう少し後ろが曲がれば良さげな感じだったので、リヤタイヤ径を小さくしたらどうだ?とハヤトに提案したところ、蹴りが減るとのことで却下されあれこれ考えた結果サイドリンクの前側を0.3mm上げました。

それと、コーナーによってほんの少しインリフト気味だったので、ボディの後ろ側を2mm下げてそれに合わせボディサイドをカットしました。因みにこの2点はハヤトには伝えてなく独断でやったんですが、ハヤトなら大丈夫(上手くコントロールしてくれる)だと思いクルマを置きました。

そしてレースがスタート。スタート直後の混乱を上手く抜け3位に上がりクルマは狙い通りの動きでした。後はドライバーに託すのみ!トップのトト君と2番手のAlexander Hagberg選手を追う展開のまま後半に突入しAlexander Hagberg選手がリタイヤしてハヤトは2位ゴールでした

 

【決勝Aメインラウンド2】

ピットに戻り各部のチェックしたらダンパーオイルが抜けてる事に気付きCRCダンパーではなくXRAY製だったのでここはハヤトにメンテしてもらい、よく走ってたので、さらに欲が出てもう少し曲げればラップは上がりそうでしたが、曲がり過ぎるクルマはコーナーで止まってしまい燃費も悪くなるのでグッと堪えそのままで行くことにしました。

ハヤトはツーリングモデにもエントリーしてて、金、土と死ぬほど忙しかったようですが、メンテなどツーリングに集中できこちらもまずまずな成績でした。そんな感じでいいよいよ最後のレースです。

スタート直後の混乱を上手く抜け出せなく、自分のペースを掴む前に他車との接触によりひっくり返ってしまい大きくタイムロスしましたが、その後は冷静なレース運びでミスもなく走り切り3位ゴールでした。

結果総合2位と崖っぷちからこの一日でこの成績はよく頑張ったと思います。私も少しは役に立てたかなと。勿論、優勝ではないのでレース結果は満足はしてませんが、この先もっと良い方向に行きそうな予感はしてます

優勝はチームヨコモのトト君でした。おめでとうございます!見た目少しガッチリとした体つきになったトトくん、精神面でのガッチリ感が今までのも増しあの集中力は流石でした。

また、ワールドチャンピオンのAlexander Hagberg選手はレースでの不運もあり結果は残せませんでしたが、あの速さは強く印象に残りました

 

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と、レースレポートは以上ですが、クルマの写真を見てもらうと一目で分かると思いますがクルマの仕様はノーマルとは違います。先に予告した発売予定のシャーシも今回はテスト時間が少なくデータのあるアルミシャーシです。そこまでシビアな戦いだったのとダンパーなど他社パーツ満載ですがハヤトなりの考えで、より良いパーツを作るための実戦テストです

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搭載されているバッテリーは近々発売になるもので、燃費が厳しい路面でも素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれました。発売を楽しみにしてて下さいね。

参考までにセットシートも載せておきます

CK25J_2018aoc(PDF)

 

最後にスポンサードしてくださったメーカー様にハヤトに代わりお礼を申し上げます。

kimihiko-yano.net
CRC
KO PROPO
AXON
RUSH
KYOSHO
EarlyCusutom
CrestspeedWay

他、応援して下さった全ての方に感謝しております。ハヤトが良い環境でやっていけるのは皆様のお陰です。

ありがとうございました!

以上でレポート終わりです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

では、またです!!

あっ!イベントレディーのお姉さん、メチャメチャキレイでタイプした。一緒に写真撮ればよかったな~(笑)


 

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